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爪化粧を施して

アライズ2周年おめでとうございます!!
黒スーツの新規衣装に滾ってしまい書いたものです。シオンちゃんの黒ネイル可愛すぎる…

 愛しい妻の肌は白く、そして指は細くしなやかだ。普段から手を繋いでいたりシーツの上に縫い留めていたりするため、それを改めて意識したのは久しぶりかもしれない。つい二年前はその手に触れることすらかなわなかったのに、今では触れていないほうが落ち着かない時もある。それだけ月日が流れ、お互い一緒にいることが自然になったということだろうか。

 リビングにはアルフェンの剣の練習の際に机の傷、キッチンには夫婦それぞれの食器とシオンお気に入りのコップ。この家で暮らし始めてからしばらくたち、真新しい時にはなかった生活感というものが生まれ始めた気がする。そんな些細な事に気が付けるほど、今の暮らしは穏やかで幸福なものだった。
 しかしそんな中、椅子にも座らず難しい顔をして考え込んでいる者が一人。
「……なぁ、もういいんじゃないか?」
「ダメよ。せっかくのパーティーなんだから、綺麗にしていかないと」
「いつもの髪型で行くからさ」
「それでもいいのだけれど、貴方最近髪が伸びたでしょう? まとまらないのよね……」
「だったら適当に切れば……」
「もう! そういう問題じゃないの!」
 今晩ヴィスキントで行われるパーティーに招かれる日の午前中、シオンはアルフェンの髪型をどのようなものにするべきか考えあぐねていたのである。
 元々髪型に対し無頓着で、鉄仮面時代はおろか、それが外れた後も無造作にしていただけだった。三百年前の記憶では、伸びて鬱陶しいと感じた際に小さなナイフで切っていたような気もする。もちろん、一年前の旅路で同じようなことをしようとした際にはシオンに全力で止められ、結局キサラに整えてもらったのだが。
 アルフェンの髪は固い。対して目の前で歩き回るたびに揺れる綺麗な薄紅の髪。今日は衣装とお揃いの黒いリボンでアレンジするということを数日前から決めていたようだった。胸を弾ませながら未来の予定を考えおしゃれを楽しむ彼女を見ていると、得も言われぬ幸福感に包まれ頬が緩んでしまう。
「アルフェン?」
 ぐるぐると悩みながら歩き回っていたシオンは足をとめ、アルフェンが楽しそうにしている様子が気になったのかこちらに視線を向ける。そんな姿もなんだか可愛らしくて思わずくつくつと笑い出してしまった。
「いや、悪い。シオンの髪はやっぱり綺麗だなと思ってさ」
「私の? ……そうだわ!」
 シオンは何かを思いついたかのように、再び背後に周り髪に触れる。そして、自分のアクセサリーボックスの中から薄紅のヘアゴムを取り出し、慣れた手つきでアルフェンの髪を結っていく。
「……いいわ。こっちに来てくれる?」
 手を引かれ姿見の前に行くと、そこには髪をひとつにまとめた自分の姿。持ってきてくれた衣装を合わせてみると、なるほどなかなか悪くない。パーティーという場に相応しく、それでいてどこか遊び心も感じられる。
「これで、私もこれを合わせれば……。うん、素敵よ!」
「ああ。ありがとうシオン」
 シオンも衣装をあてれば、鏡には二人が並んだ様子が簡易的に映し出されている。お揃いの黒いスーツにリボンタイ。これで今晩のパーティーは問題ないだろう。
 ふとその時、衣装を持っているシオンの指先は何もしていない素のままであることが目に入った。いつも大事な予定がある時は爪にも色を塗っていることが多い彼女だ。気になって聞いてみると、悩んでいるとの返答が返ってくる。
「――それ、俺がやっても大丈夫か?」
 アルフェンの思いがけない提案にシオンはきょとんとしたのち、楽し気に微笑んで「ええ。お願いするわ」と言った。

 椅子を二つ並べ、隣同士に座る。そして机の上に置かれたシオンの手を取り、アルフェンは手に汗が滲んでいるのを感じながら指先を動かした。
 自分から申し出たのだが、この綺麗な指に爪化粧を施すのはいささか大役すぎたのではないかと思えてくる。
「……フェン」
 シオンは失敗してもいいと言ったが、そこから修正となると余計に時間を取られてしまうだろう。せめて完璧にはできずとも完成にはもっていきたい。
「……ルフェン」
 小さな刷毛をしごき適切な量にするのが難しくて何度もやり直してしまう。こんな難しいことをやっている女性陣の器用さには脱帽してしまうくらいだ。もう一度刷毛を持ち、容器から浮かせ指先の上に持っていく。――これでは多すぎるか? いや、しかし。
「アルフェン!」
 その言葉ではっと我に返った。声の主はアルフェンの様子とは反対に、くすくすと楽しそうに笑っている。
「ふふっ。ごめんなさい。強敵と戦う時は物おじせず向かっていく貴方なのに、今はこうして緊張が手に取るように伝わってくるのがなんだか面白くて」
「悪かったな。あまり器用じゃないんだ」
「知ってるわ。それでも、私は貴方にしてほしいの」
 アルフェンの少し拗ねたような口調を包み込むようにシオンは言う。
「私が貴方の髪を整えたみたいに、貴方にもやってほしいの。二人で準備しあうのってなんだか素敵じゃないかしら?」
 シオンが柔らかく微笑んだ時、それは彼女には敵わないとアルフェンが思った瞬間でもあった。
「仰せのままに」

 そこからは早かった。白くしなやかな指を手に取り、その先に色を塗っていく。色はスーツと合わせた黒だったが、アルフェンはそれを塗りながら青で彩りたい気持ちにも駆られていた。
 まっさらな、誰の目にもとまりやすいそこに色を塗っていく。シオンは純粋におしゃれを楽しんでいるようだから直接は言えないが、まるでシオンは自分のものだと印付けしているようにも感じてしまう。こうして彼女に爪化粧を施せるのは親しい友人と自分だけの特権だ。
 そう思いながら指先を動かし左手の薬指に差し掛かった時、アルフェンはいかに自分の独占欲が強く、シオンをどれほど愛しているのか改めて感じてしまった。そこにはめられているのは自分のものとお揃いの結婚指輪。誰が見てもシオンは自分のものだという証がそこにあるのに、もっと印をつけたいと思ってしまう自分がいるのだ。
 ため息をつきたい気分だった。ずっと、いや月日を重ねるごとにシオンのことがもっと好きになる。
「どうしたの?」
「いや、なんでもない。それよりできたぞ。どうだ?」
「ありがとうアルフェン。綺麗よ」
 色むらもうまくいっていない箇所もある。自分でやったほうがはるかに綺麗にできただろうが、けれどシオンはそれをみつめ喜んでくれている。それは自分が塗ったからなのだと思うと、なんだか照れくさいような気持ちになる。
「さて、昼食にするか」
「もうそんな時間なのね。あっでも……」
 まだ塗りたてで指先を使いたくはない。困っているシオンの前に机の上のかごにあったクッキーを差し出せば目を輝かせてぱくりと食べた。兎のように食べ続けるシオンを柔らかい瞳で見つめる。そんなアルフェンの髪には薄紅のヘアゴムがつけられていた。