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手をつなごう

アルシオED後アンソロジー「屋根と暖炉と未来と君」に参加させていただいたもののweb再録です!
お手に取ってくださった方、そして主催様本当にありがとうございました!
※再録許可頂いています。
※BtD発売前のため、内容に齟齬があるかもしれませんがご了承ください。

 まだバイオリンの音が心を鳴らしているような、そんな余韻に浸ったまま、アルフェンは感嘆の声をあげた。奏でる者がそれぞれの想いをこめて作り上げた芸術のような演奏をこの身で浴び、まだ熱が冷めやらないが、ふと隣の様子が気になりちらりと彼女の様子を窺う。シオンの瞳はきらきらと輝いており、その上視線はじっとステージに向けられたままだったため、彼女が得た感動を推し量ることは難しくなかった。
 小さなホールで行われたバイオリン演奏会。それは大きな拍手と喝采の中、幕を閉じた。アルフェン自身、正直芸術や音楽といったものに明るくなく、素晴らしいものだったといった安直な感想が出てこないのが歯痒い。ロウを挟んで右隣のリンウェルは、彼女の持つ豊富な語彙を使ってそれは丁寧に、自分の思ったことや感じたことを伝えていた。ロウもきっと自分と同じで、うまく感想を言葉にできない質であろうから、会話にやや乗り切れていない様子がなんだか微笑ましい。
 再び左に座っているシオンの方を見る。興奮しているリンウェルとは異なり、穏やかな笑みを浮かべている。しかし、その姿がやけに落ち着いているようにも感じた直後、少しだけ憂いを表情に浮かべた。きっと彼女自身も気が付いていないような些細な変化がやけに気になってアルフェンは声をかける。
「シオン?」
 そのまま、座席に残されたままの手に自分のものを重ねて続ける。
「大丈夫か?」
 おかしいと感じたことに確実な理由があったわけではない。しかし、それでも彼女のことが気になってしまう。アルフェンの行動に、夢から覚めたかのように瞬きを繰り返した後、シオンは微笑んだ。
「――ええ、大丈夫。行きましょ。しばらくしたらキサラ達と夕食の予定だけど、その前に宿屋で少し休みたいの」
 まるで何もなかったかのようにシオンがすっと立ち上がると、二時間ぶりに上等な深紅の座席があらわになる。そして今度は彼女から腕を引かれ、客席を後にした。ちらりと後ろを振り返れば、ロウもまた楽しそうにリンウェルと話している姿が目に入る。弟分のような彼と、また夕食で、と目配せをすれば楽しそうな笑顔が返ってきたものだから、彼に対する心配はいらなかったようだ。
 会場を出たのち無言のままシオンと手を繋ぎまだ人通りの多い道を歩いていく。戦いが終わり〈荊〉から解放された直後はまだ人混みを避ける傾向にあったが、近頃はだんだんと慣れてきているように思う。けれど突然人とぶつかってしまうと、びくりと身体を跳ねさせ不安そうな表情を浮かべる。その姿がなんだか兎のようで可愛いと思えてしまうのは、平和な世界を掴み取ったからだろう。
 空に紺色のカーテンがひかれている中二人で歩き、街頭の明かりが温かい宿屋にたどり着く。がちゃりとドアを開ければ、数日宿泊したままの荷物が出てきた時と同じ姿でそこにあった。
「テュオハリムのバイオリン、よかったな」
 ベッドの上に座りほっと一息つくと、アルフェンはそうシオンに話しかけた。シオンもまた荷物を置いたのち、当たり前のようにアルフェンの隣に座る。そんな些細な行動すら可愛いと思ってしまうのだ。
「そうね。とても良かったわ。また聞きたいくらい」
「頼めばまたやってくれるかもしれないな。まぁ忙しそうだし、あまり無理強いはできないが」
 今回の演奏会はテュオハリム主催のものだった。双世界になってから一年、まだまだ解決すべき問題は山ほどあるが、たまには休息も必要だろうということで行われた。
 しかし常日頃から膨大な量の仕事に追われているというのに、演奏会の準備というものも加わり、彼の体調が心配だった。傍にはキサラもいるため、ある程度調整してくれているとは思うが、自分らしく生き始めた彼を止められるほど彼女も鬼ではない。
 これからはさらに夕食会が控えているのだ。夕食会といっても旅をしていた仲間六人全員が久しぶりに集まるだけの細やかなものではあったが、自分と同じくらいきっと彼も楽しみにしていることだろう。
 テュオハリムの心配をしつつ、ふとシオンの方を見ると、まだ人々の声が行き交う窓の外をじっと見ていた。その姿はどこか儚げにも感じてしまい、かけた声は意図せず大きくなる。
「シオン! ……その、どうしたんだ?」
 思えば今日は、積極的かと思えば沈黙が続いたり、何かを考え込んでいる様子だったり、いつもの彼女とは少し違っているようだった。慣れない人混みに酔ったのか、それとも気分が悪いのかと問うと、彼女は目をぱちくりさせたのちくすくすと笑いだす。
 その姿を見て杞憂だったのだと憂いが晴れたが、少し恥ずかしい気分にもなった。けれど、消えてしまいそうだった彼女の輪郭がはっきりとして、そして確かに体温を宿した瞳がアルフェンを見ているので、そんな考えはすぐどこかに行ってしまう。
「ほんと、貴方ってなんでも気が付くのね」
 シオンは照れ隠しも含めて苦笑した。そして、過去を思い出すようにゆっくりと天井を見上げる。部屋の明かりはシオンの表情を鮮明に照らし出す。
「小さな頃、物語が終わるのが嫌だったの。お話が終わってしまえば、その夢のような世界は私を置いて行ってしまう。まだその世界にいたいと望んでも、幕が閉じれば一人きりの世界。――その感覚を少しだけ思い出してしまっていた時に、貴方が触れてくれた」
 彼女にとって物語は、文字通り触れることのできない空想の世界でしかなかった。長年染みついた生き方はいまだ彼女を苦しめる。きっと彼女はあの演奏会での拍手が、一人きりの世界に戻される合図のように感じてしまっていたのだろう。
 そんなことはないと、皆がいる世界で一緒に笑おうと手を伸ばすと、それはシオンの両手に迎え入れられた。アルフェンよりは少し冷たい、けれど確かな熱がそこにある。
「貴方の手が好き。誰かを守るために負った傷も、ゴツゴツしているけど優しく触れてくれるところも、伸ばした手を掴んでくれたことも」
 両手の中の大切なものをきゅっと握りしめる。こんなささやかな触れ合いで、ここまで嬉しそうに笑うのだ。そんな彼女が愛おしくて、アルフェンはもう片方の腕でシオンを抱きしめた。

 場所はモスガル。感じたのはレネギスにはなかった炎の熱さ、そこにいたのは顔も名前もわからない人。
 あの時、出会っていなかったらどうなっていたのだろう。自分は〈荊〉を抱えたまま世界を滅ぼしていただろうか。触れあえる喜びを知らないまま、心の息の根を止めていただろうか。
 過去を思い返しても、今こうして笑うことができる。意図して表情を作るのではなく、自然と出てくることがただ嬉しかった。
「貴方と出会えてよかった。貴方との出会いは偶然であって運命ではないと思うのだけれど、それでも、たとえどの世界だって貴方に会える気がするの」
 おかしな話だって思うかしら。シオンの言葉にアルフェンは静かに首を振った。アルフェンもまた、そう感じていたからだ。
「それはきっと、どこかの新世界とか、学生とか、全然文化も言葉も違う国でもいいわね。ううん。世界が最初から平和だったら、水着を着て遊んでいたかもしれない」
 もしもの出会いを想像してシオンは笑った。そしてゆっくりとアルフェンを見つめる。空色を輝かせながら、口を開いた。
「アルフェン。貴方が好きよ。愛しているわ」
 心に触れてもらって、そして自分からも相手に手を伸ばせることがこんなにも幸せなことだとは知らなかった。
 シオンの思いに応えるように、アルフェンはシオンを抱きしめ唇にキスを落とす。少しだけかさついている口づけが大好きだった。ゆっくりと身体が離れていくが、アルフェンの眼は真っ直ぐシオンだけを見ている。
 そこでふと、この瞬間が忘れることのできない、大切な思い出の一つになるであろうと思った。
「シオン。俺もシオンが好きだ。愛している。だから――」
 その言葉の続きは、夢に見ていた、いや想像すらしてなかったものだった。
 アルフェンはいつだってそうだ。シオンが距離を取ろうとも、彼はそんなの気にせず自分に触れてきた。ずっとシオンを見ていてくれた。それがどれだけ私にとって異質な存在で自分を揺らがすものだったか、貴方は知らないでしょう。
 頬に一筋の雫がつたう。それが涙だと気が付くと、どんどん溢れてしまう。
 嬉しい時にも涙は出るのだと、初めて知った瞬間だった。けれど、この返事だけは笑って言いたかったから、それを拭ってシオンはアルフェンを見つめる。そして、言葉の返事を、世界でいちばん愛しい人に伝えた。
「ええ、喜んで!」

「もう時間か……。いけるか?」
「問題ないわ」
 世界が一つになったと言えど、まだまだやることは山積みで、しばらくはゆっくりできない日々が続くだろう。けれど、二人でならきっと乗り越えてゆけると思うのだ。
 部屋の出口の前で、伸ばされたアルフェンの手を、シオンはぎゅっと握り返す。そしてどちらからともなく、身体を寄せ合いキスをした。
 街の片隅から、誰かの歌声が風に乗ってやってくる。歌詞の内容は幸せな日々が続くようにと祈るものだった。最初こそ一人で歌っていたものの、次々にその歌声に彩が加わり、ちらりとその方向を見れば六人で楽しそうに歌っている様子が見えた。
 最後のメロディーが響き渡ったのち、その合唱を聞いていた観客から拍手が湧き上がる。それを聞いても、シオンの心が揺らぐことはもうなかった。
「……いい歌だな」
「そうね」
 握った手にきゅっと力が入る。歩み始めた二人の姿は、双世界の中に消えていった。