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『だいじなひと』

2022.09.09に書いていたものを一部修正しました。
アライズ1周年記念で書いた、ほんのりアルシオなED後モスガルでの話。

 モスガルは、今思えば星のきれいな町だったのだと思う。
 決して短くない時間をここで過ごしてきたが、そう思えたのは今日が初めてだった。濃藍のキャンバスを飾るのは輝きを放つ無数の星たち。その名前などもちろん自分は知らないが、あれらは数百年変わっていないのだとリンウェルが言っていたことを思い出す。
 この地で初めて旅に出た時、アルフェンがダナにやってきた時、いやそれよりも昔、三百年前にレナが進行してきた時からこの星空は変わらないのだ。ならば今になって手に掴めないそれらを、どうして綺麗に思うのか。
 それはきっと自分のあり方が、心が変わったからであろう。掴めない星に手を伸ばすこと。それはもう苦しいことではない。
 偏っていた星霊力が世界に行き渡るようになり、人々を苦しめていた業火はいつの日か民衆の心に熱を与える光となった。希望を探すことすら諦めていた瞳に星空のようなきらめきを浮かべ、明日のことを楽しそうに話す姿を見られることがただ嬉しかった。

 カラグリアとは異なり人口も比較的も少なく、まだまだ発展途上にあるモスガルだが、今日はやけに賑わっているようだった。不思議に思いつつも世話を焼いてくれた恩人のもとを訪れようとすると、以前よりも背丈がのびた少年がアルフェンに気がつきこちらに走ってくる。
「アルフェン!」
 来てたんだ、ちょうどよかったとココルは嬉しそうにはにかむ。まだまだ食べ物も十分ではないとはいえ奴隷時代と比べれば満足に食べることが叶い、また必要な栄養も確保できた。成長期の少年はきっとこれからどんどん大きくなるだろう。装甲兵から鞭を打たれそうになった時の小さな背中はきっと面影すら残さない。
「どうした? なんだがやけに賑わっているな」
「何っておぬし、今日がなんの日か知らんのか」
 布を張り合わせただけの簡素なテントから出てきた老人は、呆れながらも慈愛に満ちた目をアルフェンに向ける。
「今日はあの門が壊れて一年だそうだ。だから、こうしてささやかながらも祭りじみたものをやっているのじゃよ」
「門……。炎の門か」
 ドクが指差した方角は、積み重なった岩石を優に越えるほど大きい炎の門があった場所。人々の星霊力を吸収し命すら焼き尽くしていたそれは、紛れもなくアルフェン達によって壊された。その日からこの場所に壁はなくなったのである。
「なんだか懐かしいな。もうそんなになるのか」
 この地でシオンと出会って、カラグリアを解放して仲間と出会って。世界の理に気が付いて、シオンを救いたいと思い〈荊〉から解放して。必死に走ってきたからなのか不思議と旅路を長いものだとは感じていなかった。道中いつも夢に思い描いていた光景は、今こうしてアルフェンの目の前にある。
「そうだ! これ見てよ!」
 長かった戦いに思いを馳せていると、ココルは小さく畳まれた紙をポケットの中から取り出す。何度も取り出してはしまった形跡があり、また紙の素材自体も決して良いものではないため所々が破れている。それを大事そうにアルフェンに渡すとココルは少し恥ずかしそうに、けれど誇らしげに腕を頭の後ろで組んだ。
「ドクに教わったんだ。……まだ練習中だけど」
 紙を開くと、そこにはたどたどしい筆跡でいくつかの言葉が書かれていた。
『なまえ・ココル だいじなひと・ドク、アルフェン、シオン』
「これは……?」
「文字を教えてるんじゃよ。奴隷の頃はまともに勉強なぞできなったからな。大人ですら文字の読み書きができるもんは少ない。わしみたいな少し覚えのある人間が、合間をみて教えてるんじゃ」
 ダナ人はゆりかごから墓場までずっと奴隷のままだった。モスガルでは特に肉体労働が中心であり、それが難しいものはレナ人の世話に従事していた。自分は過去の経験のおかげか文字の読み書きに支障はなかったが、ここでは文字に触れたことがない人間の方が多い。
 それと驚いたことがもうひとつ。『だいじなひと』の欄に、ドクと自分だけでなく見慣れた名前があるのだ。
「シオン……」
 そうアルフェンが呟いたのを聞いたココルは、真っ白な歯を見せるようにニッと笑った。ドクもまた穏やかな微笑みを浮かべている。
「最初は正直、レナ人だし怖かったし嫌いだった。だけどシオンはいい人なんだって分かったから。優しい人なんだって。それに、アルフェンの奥さんだしね!」
 これ、とドクがたしなめる素振りを見せるものの、その表情は嬉しそうだ。峻険な門はもう壊され、今や人々は誰にも咎められず自由に生きることができている。それは彼にとって奇跡にも近いのだろう。
「……この地で子供がこうして腹一杯食べて、笑えるようになるとは思わんかった。お前さんは英雄扱いされることを良く思っていないだろうが、やはり感謝しておる」
 歳を重ねた分だけ悲劇を目の当たりにしてきた。時節を待てとアルフェンに忠告したことも、無闇にレナに逆らい犠牲を生み出したくなかった故の言葉だと今ならわかる。
「ありがとう、アルフェン」
「アルフェン、ありがとう!」
 世界を救いたいと思っていたわけではなかった。奴隷として痛めつけられ、一生を終えていくこの状況をどうにかしたかっただけだった。だからこそ、昔から知っている人からの感謝の言葉はどんな勲章よりも誇らしい。
「そうだ! ねぇ、アルフェンも手紙を書いてみたら?」
「手紙?」
「うん。今、手紙を書く練習をしてるんだ。よかったら付き合ってよ」
「ああ、わかった」
 遠くの相手にも想いを伝えることができる代物。それを通してこの少年の世界はきっと壁の外へと広がっていく。
 さて、自分は誰に書こうかと考えるが、その相手はすぐに頭に浮かんだ。きっと誰かに手紙の配達を頼むわけではないから自分で直接彼女に渡すのだろう。その状況を想像すると少し気恥ずかしいが、たまにはこのような機会も悪くない。
 アルフェンは久しぶりにドクのテントをくぐると、ココルと並んでペンをとる。この地で出会い旅路を共に歩み、そして手を取り合って未来へと進んでいく自分の『だいじなひと』。――シオンに宛てて文字を綴り始めた。